この夏も 奥の細道 句碑巡り
昨年8月に続き、奥の細道句碑巡り(後編)に出かけてきました。
昨年は東京深川を出発し、日光、松島、平泉、立石寺、出羽三山、象潟などを経て新潟まででしたので、今年は新潟からスタートし、出雲崎、親不知、富山、金沢、山中温泉、永平寺、敦賀などを通って、岐阜県の大垣まで。8月11日(火)から8月15日(土)の5日間です。昨年同様、奥の細道に詠まれている芭蕉の句の句碑の写真を撮って廻ります。
第1日は出雲崎(新潟)から有磯(富山湾のこと)まで。
写真上左、第32番 「文月や 六日も常の 夜には似ず」
上越市直江津中央の琴平神社境内です。文字はだいぶ読み難くなっているのですが、境内には、同じ句を彫った新しい句碑も立てられていました。
上右、第33番 「荒波や 佐渡に横たふ 天の河」
出雲崎、尼瀬の妙福寺境内。ここにも新旧の句碑があり、写真左のやや黒いものが古い句碑、右の白くて背の高いのが新しい句碑です。碑には芭蕉の句の他に、芭蕉門下、東華坊の「五月雨の夕日や見せて出雲崎」、盧元坊の「雪に波の花やさそうて出雲崎」の合わせて3句が刻まれています。
なお、荒波やの句碑は他にも、出雲崎の芭蕉園、弥彦の宝光院、北陸自動車道米山SAなど、各地に有るようです。
第34番 「一家に 遊女もねたり 萩と月」
場所は糸魚川市市振の長円寺境内。この句の句碑は、東北自動車道越中境PAなどにも有るそうです。親不知は山が突然海に落ちているため道がなく、海の中(波打ちぎわ)を歩かざるを得ない難所だったようです。
上の写真、左は、大河ドラマに影響されて立ち寄った春日山山麓林泉寺の上杉謙信の墓、右は、展望台から見た親不知海岸。
第2日は有磯(富山県)から石川県金沢市を通って粟津温泉(小松市)まで。
第35番 「早稲の香や 分け入る右は 有磯海」
場所は、富山県下新川群朝日町元屋敷の海岸近くの道端。分かり難く、旅館の人に道を教えていただき、やっと見つけることができました。この句の句碑も、荒屋神社、徳城寺、放生津八幡宮、有磯SAなど各地に有るようです。
右の写真は宿泊した旅館「有磯」。有磯海句碑が近いので、その句から旅館名を戴いたとのこと。
写真左は倶利伽羅峠。芭蕉も通ったと言うことなので、高速を通らず一般道で峠越え。
写真右。第36番 「塚も動け 我泣く声は 秋の風」
場所は金沢市野町、願念寺門前。この句の句碑は不動寺PAにも有るとのこと。
第37番 「秋涼し 手毎にむけや 瓜茄子」
金沢市寺町5丁目、長久寺境内。
第38番 「あかあかと 日はつれなくも 秋の風」
金沢市丸の内、兼六園園内。この句碑の写真を撮るだけの為に兼六園に入園。駐車料金と入園料を取られてしまった。入園したついでに園内を観光。この句の句碑も、小松天満宮、成学寺、水橋神社など、各地に有るようです。
上の写真は宿泊した旅館「法師」の玄関。この旅館は西暦718年(奈良時代)に開場(創業)。約1300年の歴史があるとのこと。世界で最も歴史の古いホテルとしてギネスブックに登録されている。
右の写真はギネスの登録証。部屋や料理によっては宿泊料も高いのですが、1300年 カウントダウン スペシャル価格でリーズナブルに泊めて戴きました。
第3日、粟津温泉から、加賀市、山中温泉、を経て、福井市まで。
第39番 「しほらしき 名や小松吹く 萩すすき」
小松市寺町94、建聖寺境内。他に菟橋神社、本折日吉神社、などにも句碑があるそうです。
第40番 「むざんやな 甲の下の きりぎりす」
小松市本折町、田太神社境内。他に篠原古戦場、尼御前SAなどにも句碑があるそうです。
第41番 「石山の 石より白し 秋の風」
小松市那谷町、那谷寺境内。
右は、那谷寺境内の奇岩(石山)によじ登る白い影。句碑の石の形はこの奇岩の形を模している?。
第42番 「山中や 菊はたおらぬ 湯の匂」
山中町山中温泉、医王寺境内。
他に、河鹿町、鶴仙渓遊歩道、JR大聖寺駅1番線ホーム、などにも句碑があるそうです。
第43番 「今日よりや 書付消さん 笠の露」
場所は、山中温泉、大木戸門跡。
ちょうど小雨が降り始め、傘を差して撮影。傘(笠)から露が滴り落ちていた。
写真左は山中温泉の「芦湯」という名の足湯。
右、第44番 「庭掃きて 出でばや寺に 散る柳」
加賀市神明町山代温泉、全昌寺。
ついでに寄った東尋坊。
第4日目、福井県永平寺町から、色浜、敦賀まで。
左は、ホテルのポスターで知り急遽見に行った、福井県立美術館の「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」。展示しているのは絵画ではなく、手書きノートに書き残した発明品のメカニズムを復元した機械の展示。ヘリコプタや自動車、クレーンなど、50点ほどの模型を展示し、そのほとんどは実際に動かすことができる。ただしヘリコプタは効率が悪く、この機構で空を飛ぶことはできない。
右、第45番 「物書きて 扇引きさく なごり哉」
永平寺町春日1-64、天龍寺境内。
第46番 「月清し 遊行のもてる 砂の上」
敦賀市曙町、気比神宮境内。
この句の句碑は常宮神社にもあるそうです。
第47番 「名月や 北国日和 定めなき」
この句碑も同じく、気比神宮境内のもの。この句碑には、他に4句が並べて彫られています。名月の句は向って一番左。
この句の句碑は、他にも、福井市郷土自然科学博物館、杉津PA、などにもあるそうです。
第48番 「寂しさや 須磨にかちたる 浜の秋」
敦賀市色浜、本隆寺開山堂境内。
写真右は途中立ち寄った、永平寺の内部。
第5日目(最終日)敦賀から、途中関が原古戦場に立ち寄って、大垣市の「奥の細道結びの地」まで。
左は、関が原古戦場、最終決戦の地。
右は、石田三成本陣跡で取材するHNKの(下請け、共同テレビ)スタッフ。放送予定は9月11日と、9月18日、BS2の「熱中夜話」とのこと。
私もインタビューを受けましたが、番組名をインタビュー後に知ったので、間抜けな応答をしてしまいました。
第50番 「蛤の ふたみに別れ 行く秋ぞ」
場所は、大垣市船町、「奥の細道結びの地」
右は、「奥の細道結びの地」の表示と、美濃路、ミニ奥の細道、などの案内図。
なお、第49番目の句「波の間や子貝にまじる萩の塵」の句碑はインターネット等で調べた範囲では見つけられませんでした。長崎県国見町の金刀比羅神社に有るという噂もありますが、本当かどうか?。なぜ長崎に?。
「結びの地」付近には、「ミニ奥の細道 芭蕉句碑めぐり」と言うのがあり、奥の細道2400kmを愛宕神社(錦町)から結びの地(船町)までの2.2kmに見立てています。ここに奥の細道の中から代表的な22句の句碑が並んでいます。このミニ奥の細道の句碑も全て撮影しましたが、紹介するのは省略します。
結論 : 奥の細道には芭蕉の句が50句掲載されていますが、このうち48句の句碑を撮影することができました。残る2句のうち、20番目の「這出よかひやが下のひきの声」は茨城県に句碑が有ることをYMさんが確認してくれました。残る1句49番目の「波の間や子貝にまじる萩の塵」の句碑がどこかにあるかどうか不明です。
(ご存知の方居られましたら教えてください。)
最後の写真は途中立ち寄った大垣城です。
句碑巡り後編の往路は、高速道路に乗ったり降りたりの繰返しのため、「長距離でも千円」の恩恵はあまりありませんでした。復路は、大垣から新潟まで高速を連続して一気に約500km走り通常料金約1万円のところ千円でした。また、東名の崩落で中央自動車道が混雑しているとのことで、中央道を通らず、少し遠回りですが往路とほぼ同じ経路の北陸自動車道を走ったところ、道は空いていました。
今回の(後編5日間の)走行距離合計約1350km(往路約850km、復路約500km)でした。
今回の事前調査で、芭蕉の句碑が高速道路のパーキングエリア(PA)やサービスエリア(SA)に沢山有る事が分かり、実際にその幾つかは写真も撮ってきました。(このブログでは紹介していませんが・・)。いずれ高速道路のSAやPAを巡るだけで「奥の細道」の全ての句碑を廻れるようになるかも知れません。








































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